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    Feature特集

    Bulgari Il Ristorante ルカ・ファンティン シェフ インタビュー

    イタリアを代表する高級ジュエラー「ブルガリ」。銀座の中心地にある世界最大級の店舗「ブルガリ銀座タワー」9階のリストランテで、エグゼクティブシェフを務めるルカ・ファンティンさん。昨年9月に就任10周年を迎え、12月にはフードイベント「ザ・グランド・ジェリーナズ・シャッフル」に初参加。新たな挑戦を続ける彼に、今の思いを伺いました。

    <プロフィール>

    Luca Fantin

    1979年生まれ、イタリアのベニスに近いトレヴィーゾ出身。13歳からレストランで働き始め、料理専門学校を卒業後、一度はプロのラグビー選手を志すも料理の道を選び、ミラノ「オステリア・デル・オルゾ」など数軒で研鑽を積む。その後、ガストロノミー界に大きな影響を与えていたスペインに活躍の舞台を移し「アケラッレ」や「ムガリッツ」でメイン料理を担当。東京の「日本料理 龍吟」で研修後イタリアに戻り、2006年ハインツ・ベック氏が手がけるローマのリストランテ「ラ・ペルゴラ」のスーシェフに就任。2009年に来日し、銀座「ブルガリ イル・リストランテ(当時)」のエグゼクティブシェフに就任。2011年からミシュラン一つ星を9年連続で獲得する。2015年、自身の名を冠した現在の店名に変更。2019年、「アジアのベストレストラン50」18位、「世界のベストレストラン50」107位にランクイン。「ガンベロロッソ」ではスリーフォークスを獲得し、「レストラン オブ ザ イヤー」を受賞。現在は銀座とインドネシア・バリ島にある2軒の「ブルガリ イル・リストランテ – ルカ・ファンティン」でエグゼクティブシェフを務める。

    PHOTO: CUISINIER編集部 INTERVIEW&TEXT:Shifumy(江藤詩文)

    新しい世界への冒険がシェフとしての原動力

    江藤――2019年12月3日、世界で同時多発的に開催された一夜限りのフードイベント「ザ・グランド・ジェリーナズ・シャッフル」(以下、ジェリーナズ)。世界38か国の138のレストラン、148人のシェフがそれぞれ8品のレシピを作成し、イベントがスタートする700時間前に、抽選で無作為に選ばれたレシピが各シェフのもとに届くという奇想天外なものでした。

    シェフたちは、レシピ作成者の名前も、国や地域も明かされないまま、そこに書かれた文字と写真だけを頼りに、自分らしさを加えてコースを構成し、イベント当日に一夜限りのメニューとして料理を提供しました。

    東京からは、「NARISAWA(ナリサワ)」の成澤由浩さん、「傅」の長谷川在佑さん、「鮨 m」の中村導昌さん、「炭火割烹 白坂」の井伊秀樹さん、イベント限定店舗を仮オープンしたセルジオ・メザさん、「INUA(イヌア)」のトーマス・フレベルさん、「Alter Ego(アルテレーゴ)」の徳吉洋二さん、そしてルカ・ファンティンさんの8名が参加しました。

    ゲリラ的に不定期で開催される「ジェリーナズ」に、ルカさんは初めて参加しました。なぜ参加を決めたのでしょうか。

    ルカさん(以下、敬称略)――「ジェリーナズ」運営者で、世界でもっとも著名なフードライターであるアンドレア・ペトリーニさんから直接電話がかかってきたので、ノーとは言えませんでした(笑)。というのは冗談で、僕は何か新しいこと、不可能と思われることに取り組むのが好きなのです。今回参加したシェフは、誰でもそうだと思います。

    江藤――確かに「ジェリーナズ」は、前代未聞の新しさでした。普通に考えると、自分のレシピを世界のどこにいる人が受け取るかわからないのだから、相手を思いやって、なるべく世界中のどこでも手に入りやすい食材を使い、できるだけ普遍的で誰でも作りやすいレシピを作成すると思います。ルカさんも、そのようなレシピをつくったのでしょうか。

    ルカ――なるほど、そういう考え方もあるのですね。でも、シェフというのは本来が冒険好きで挑戦的。誰でも作りやすいレシピを作った人はいないのではないでしょうか。僕は、オーストラリアのメルボルン郊外に位置する「ヤラバレー」というワインの産地にあるワイナリー「オークリッジ」に併設したビストロのシェフ、マット・ストーンさんが作成したレシピを受け取りました。そのレシピには、カンガルーやエミュ、蟻といった食材が使われていたんですよ。もちろん僕は、イタリア料理のファインダイニングならではの高度な技術を駆使したレシピを作成しました(笑)。

    江藤――それは挑戦的。受け取った人も苦戦したでしょうね(笑)。ルカさんはこれまでも、未知の世界への冒険、新しい挑戦を繰り返してシェフとしてのキャリアを築いたのでしょうか。

    ルカ――僕がレストランの仕事を始めたのは、13歳でした。子どもらしくお小遣い稼ぎが目的(笑)ですが、料理の世界へ飛び込んだのは運命でした。その後、5年間料理学校に通い、途中、プロのラグビー選手になる道との岐路にも立ちましたが、ミシュランの星つきレストランでインターンとして働いたことが、本格的なキャリアのスタートです。

     

    江藤――ルカさんの経歴を見ると、星を持つようなリストランテ、いわゆるファインダイニングの名が並びます。美食大国のイタリアでは、ジェラートショップからバール、オステリア、トラットリアなど、さまざまな飲食店の業態があると思います。ファインダイニングひと筋でキャリアを築いた理由はなんでしょうか。

    ルカ――ファインダイニングなら、もっとも新しい技術や食材に触れ、いろいろなことに挑戦できて、自分が成長できると思ったからです。ファインダイニングとは、どんなものだと思いますか。高級な食材を出す店でしょうか。僕は、ファインダイニングとは、厳選した最高品質の食材を使うのはもちろんのこと、それをそれぞれの個性に合わせた切り方や調味といった下ごしらえをしたり、何種類ものソースをつくったり、品質のいい器に精密なプレゼンテーションを施したり、細部まで妥協せず、手数をかけた料理を出せる場所だと考えています。

    そういう意味で、ファインダイニングは一般的に、作業量が多くて勤務時間も長く、仕事は大変ですが、多くの技術を習得できるし、新しい食材や調理法も積極的に取り入れるなど、挑戦できる場所だと思います。

    世界での経験から生まれたルカ風イタリア料理

    江藤――イタリアの名店で順調にキャリアを重ねながらも、スペインでも修行をしています。スペイン料理への転向など、料理の方向性を模索していたのでしょうか。

    ルカ――いえ、スペイン料理へ転向したかったわけではなく、僕の基本はあくまでもイタリア料理にあります。ただ当時のスペインは、分子ガストロノミーが登場するなど、まったく新しい技法を料理の世界に持ち込み、ガストロノミーの最先端を走っていました。ガストロノミーの世界でいま起こっているものを見聞きしたい。世界の最先端を知って、もっと自分の料理をレベルアップしたい。そんな思いからスペイン行きを決意しました。

    江藤――さらにヨーロッパを飛び出して、日本でも修行をしました。

    ルカ――「日本料理 龍吟」の山本征治さんの存在を知ったのは、スペインのサンセバスチャンで開催された料理学会です。山本さんはそこに、なんと医療用のレントゲンを持ち込み、ハモの骨を見せ、日本に伝わる骨切りの技術のプレゼンテーションを行ったのです。僕はいまも、山本さんを世界最高の技術を持つ料理人として尊敬していますが、初めてその技術を目の当たりにした時は、ものすごい衝撃を受けました。僕はイタリア料理人で、日本料理とはジャンルが違うけれど、その技術をどうしても学ばせてほしいと知人を介してお願いしたところ、快く受け入れてもらえました。

    日本料理も日本文化も知らなかった僕にとって、「日本料理 龍吟」での毎日は、挑戦の連続でした。料理の技術以外にも、山本さんから学んだことはたくさんあります。そのひとつが、会席料理の伝統に基づいた「おまかせ」コースの構成です。現在でこそ、日本の「おまかせ」スタイルは世界のトレンドになり、イタリアでもシグネチャーメニューやテイスティングコースを提供するリストランテもありますが、イタリア人はもともと、食べることを人に任せない国民性なんですね。前菜もメインもデザートも、自分が食べたいものを自分で選びたい。アラカルトが当たり前だと考えていたので、おまかせスタイルを知ったことは大きな経験でした。

    江藤――「日本料理 龍吟」での修行を経てイタリアに戻り、三つ星店「ラ・ペルゴラ」のスーシェフを務めました。

    ルカ――帰国した時には、まさか日本でシェフになるとは思わず、イタリアで独立することも視野に入れていました。当時は26歳で、まだ独立するには若かったので、自分の店をオープンする前に、三ツ星のリストランテでスーシェフになりたいと考えていました。そんな僕を受け入れてくれたのが、「ラ・ペルゴラ」オーナーシェフのハインツ・ベックさんです。

    「日本料理 龍吟」の山本さんから、食材を生かした技術を学んだとしたら、ハインツ・ベックさんから学んだのは、食材を生かしたクリエイティビティです。どちらのシェフも食材に敬意を持ち、食材を大切にしていました。「ラ・ペルゴラ」では、どんな食材と組み合わせて、どう調理したら、その食材をもっとおいしく味わえるかというシンプルな考え方がベースです。この考え方は、いまも僕の基本になっています。

    来日を決めた理由は「未知の世界」への挑戦

    江藤――「ラ・ペルゴラ」で3年ほどスーシェフを務め、いよいよ日本へと活躍の舞台を移します。「ラ・ペルゴラ」のスーシェフの地位を手放してアジアに来ることに、迷いはありませんでしたか。

    ルカ――正直に言うと、たくさんの不安がありました。僕は日本語が話せませんし、日本人とのコミュニケーションは、時々すごく難しく感じました。日本人はよく「空気を読む」という言い方をしますよね。ところがイタリア人は、感情をすぐ表に出すし、思ったことは何でも言わずにはいられない性格なんです。空気を読めないことによるコミュニケーションの失敗は、今でもたまにやってしまいます。

    また、日本の文化や生活習慣も、イタリアとは異なることが多々あります。うまくやっていけるのだろうかという心配もありました。

    けれどももっとも心配だったのは、イタリアのガストロノミー界に自分の居場所がなくなるのではないかということです。イタリアのガストロノミー界は競争が激しく、常に発信しなければ存在を忘れられてしまう。せっかく「ラ・ペルゴラ」のスーシェフになったのだから、イタリアでやっていく方が、ステイタスを得るには早いのではないか。そんな迷いはありました。

    けれども最終的に決断したのは、知らない世界でやっていく方が、自分が成長できるという思いです。僕はほんとうに冒険が好きなんですね(笑)。

    江藤――それから10年。今では使用する食材の約9割が日本のものです。

    ルカ――そうですね。パスタやリゾット用のお米、オリーブオイル、チーズなど約1割はイタリアから輸入していますが、9割は日本の食材を使っています。

    ただし、日本の食材を使っているからといって、日本風のイタリアンを作っているわけではありません。イタリア料理を構築するための食材を、日本国内から選んでいるのであって、イタリア料理では使わないもの。たとえばしょう油や酒、みりんなどは、僕の料理には使いません。

    もちろん、日本人のお客様に合わせて、しょう油で味つけした和風イタリアンがあってもいいと思います。しかし、それは僕より上手にできる人がいるでしょうし、僕がやることではないと思っています。イタリア人のシェフとして、今のイタリアを伝えるコンテンポラリーなイタリア料理を作る。それが僕の使命です。

    江藤――今後は日本で、どのような料理を作りたいですか。

    ルカ――日本ではまだ、多くの人がイタリアンといえばカジュアルなパスタやピッツァをイメージすると思います。そうではない、モダンでエレガント、コンテンポラリーな要素を持つリストランテの料理。それを発信し続けて、たくさんのお客様に楽しんでいただきたいですね。

    江藤――新メニューが楽しみです。11年目のご活躍も期待しています。

    ※取材は2019年12月

    ブルガリ イル・リストランテ – ルカ・ファンティン

    https://www.bulgarihotels.com/ja_JP/

    営業時間は公式ウェブサイトを確認

    東京都中央区銀座2-7-12 ブルガリ銀座タワー9階

    予約に関する問い合わせ先:TEL 03-6362-0555