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    Feature特集

    インタビュー logy 田原諒悟 Vol.1 今の自分をつくるもの(1/2)

    2018年11月、台北にオープンしたレストランlogy(ロジー)。シェフの田原さんに、スーシェフ時代の考えや自身に影響を与えたものについて伺いました。

    PHOTO: CUISINIER編集部

    編集部――田原シェフ、インタビューよろしくお願い致します。田原さんはフロリレージュさんのスーシェフを務められてから、こちら(logy)のシェフになられていますね。その過程でどのように働かれていたか、伺わせていただけますか? もともとはイタリア料理をされていたとお聞きしました。

    田原――はい、僕は北海道のイタリア料理屋さんで働いて、その後、イタリアに行きました。そこではコミ(見習いのひとつ上のポジション)とかいろいろ経験しましたけど、すごくいいイタリア人のシェフやスーシェフに恵まれて、あるスーシェフに、「日本に帰ってスーシェフやシェフになるんだろうから、今お前がやるべきは、次になるであろうスーシェフの仕事を見ることだ」と言われたんです。だから、次のステップのために、シェフやスーシェフの仕事を見るようにしていました。イタリアでその経験があったから、スーシェフってこういう仕事なんだ、こうあるべきなんだなっていう具体的な像があって。もちろんヨーロッパでの働き方ですけど、日本でも置き換えられることが多々ありました。

    その後、フロリレージュには、スーシェフとして入ったわけじゃなかったんですよ。当時のスーシェフが半年くらいでやめてしまって、じゃあ、やろうかっていう感じになって。その心の準備はできていたし、自分の中でも具体的な形が見えていたので、なりました。それから三年間働くんですけど、僕の中で次はシェフになると考えてやっていたから、川手シェフがどういうふうに働くのか、お客さんや料理や、料理業界のことなどをどういう目線で見てるのかを見ていました。そういうステップを踏んでいたこともあって、次にここ(logy)のシェフになった時に、意外に……スムーズというか。そんな感じですね。

    編集部――田原さんにとってのスーシェフの具体像を伺えますか?

    田原――僕がスーシェフの時にあるべきと考えていたのは、シェフと思いを共有していくこと。どんなことがあっても、それがブレない。シェフと同じ目的に向かっている人が、一人いたら最高だし、二人いたらもっと最高だし。全員だったらもっといいけど、それはけっこう難しくて。たとえば若い子は、どうしても一つ星とか、二つ星が欲しいんだとかいう気持ちって、生まれづらいじゃないですか? 経験も関わってきますし。働いた場所や、その価値を知っているか、とか。だけど、僕はまったく同じ思いで働いていたし、彼(シェフ)が考えた料理や思っていることを、再現プラスもう少しよくなるくらいにしたかった。それで、スタッフや料理のチェックをすることに重心を置いていました。

    シェフが作るものはやっぱり料理が一番最初に来ると思うので、彼がイメージしているものをまったく同じようにイメージできる、再現できることに重きをおいて、それをスタッフにシェアする作業。「シェフはこういうものが作りたいから、こう作ろう」「こういうことを大事にしているから、ここを一番大事にしようよ」とか。

    たとえば、川手シェフは温かいものは温かく提供したいというのが本当に重要で、それは僕もイタリアンをやっていた時、パスタとかすぐ冷めてしまうから一番重要だったんです。温度感。そこがまず共通していたから、スタッフにも徹底させました。お皿を出すとかって、ちょっと忙しいと1分前に出してしまうとか簡単なほうに流れやすいけど、そういうところで、考えていることを説明しながらシェアしていました。

    編集部――川手シェフと、田原さん含め当時のスタッフさん、お店の向かっていたところついて教えていただけますか?

    田原――僕、フロリレージュが新店をオープンする(移転する)前に面接したんですけど……僕は日本に帰ってから、イタリアで一緒に働いた仲間たちに、「あいつどこにいるかわからない」っていう状態じゃなくて「ああ、この店で働いてるの」「今あんなことになってるの」って言われるような働き方をちゃんとしたいし、「あいつうちで働いてたんだよ」って言ってもらえるような人間にこの先なりたいと思っていました。これ、どこでもそうなんです。北海道で働いていたお店でも、フロリレージュでも。

    それには、料理人だったら誰もが、海外の人たちも注目するような、アジア(のベストレストラン)50とかミシュランの二つ星とかが欲しいと思っていて、それで面接に行ったんですけど、川手シェフの口から、「次にやるレストランは一つ星を取るためにやるわけじゃない。アジア50に絶対入る、あと、二つ星を必ずとるんだ」と言われて、ああ、この人しかないなと思ったんです。

    絶対とれると思ったし、その思いが彼と共通していたので、スタッフの子たちにもそれを毎日言っていました。これ、たぶんフロリレージュで僕と働いていたことがあるスタッフに聞いたすぐわかると思うんですけど、何十回何百回言われたかわからないと思いますよ。それで、アジア50に入った、二つ星をとった、となったとして、その媒体には認められているけど、もしかしたら世間は認めていないかもしれない。だったら周りの人たちからも、「東京のフレンチでフロリレージュだったら、日本代表としてアジアのベストレストランに入っても恥ずかしくないよね」と言われるようなあり方や働き方をするように徹底していました。目に見えているので。

    編集部――見えているというのは、いわゆる、コの字型カウンターのお店の作りでしょうか?

    田原――はい。あえて伝えるようにしているのは、やっぱり料理だけじゃないと思うので。仕事ぶりとか立ち居振る舞いとか。スプーンの持ち方もそうだし、髪型も、服装も、何でもそう。全て一流の人として働こうよっていうのを、毎日言ってました。ちょっと汚い言葉で。

    編集部――よかったです、その現場に行かないで。

    田原――あとは、調子にのるな、天狗になるなっていうことも。お店は川手シェフとフロリレージュの名前で上がっていってるから、別に、僕らがどうこうという話じゃない。「別の人間でもいいと思われるんじゃなくて、お前じゃなきゃダメみたいな状態になれ」っていうのを、本当にこれも毎日のように(苦笑)。

    編集部――徹底していますね。言われるのも辛いし、言うのもしんどいと思います。

    田原――そう言って、自分に言い聞かせているんですけどね。僕は、人の神輿にのって浮かれているような奴にだけはなりたくないと思っていました。50のセレモニーに行って悔しいと思っていましたし。

    編集部――そうなんですか。

    田原――その時はチームで行ってるから嬉しいんですよ。でも、自分の実力じゃないところで連れて来てもらっている感覚が僕は悔しかったし、その反動で今、燃えているという感じです。……嬉しかったけど、じゃあ、自分でこういうレストランを作れるのかって、自問自答していました。
    そうするとやっぱり川手さんってすごいなと思ったし、1年も2年もずっと考えていました。何をしてこの人はここまで行っているのかって。それで、何となくわかってきたかな、くらいの時にこの(logyの)話が決まったので、台湾にきたら一つ星は取れるだろうなと思っていたんです。

    編集部――正直ですね。

    田原――でも二つ星はとれないかなってずっと思っていたし、自分ではこの感じは無理かなとか、こういう感じでやったらどうだろうなあって、その時からずっと、今でも考えてるという感じで。

    川手シェフの下で働いていた時は、自分だったらどう判断するかを考えていました。たとえばあるお店からイベントの誘いが来て、やろうか、やらないかって考えているシェフがいて、自分だったらどうするかなって考えて。それで彼が、このお店とはやる、これはやらないっていう決断をしたら、どうしてですかって聞きに行くんです。理由がわかったら自分にとってもプラスになるので。それをけっこうやっていたかな。これはアジア50やミシュランに偏りすぎてしまいますけど。

    でも、何でもそうです。取材でも、シェフが話している内容とか、どんな話し方をしているかを聞きながら、この人は何を考えて話しているのかなとか、できるだけ自分の考え方と照らし合わせて。合っている部分があったらラッキーというか、この部分共通しているんだなとか思うし、全然自分のアイデアになかったことを話していたら、納得して、もう一回考え直してみるとか。

    編集部――川手シェフは先輩でありシェフですし、尊敬が根本にあるのであろうし、考え方が合っていたらいいなと思う気持ちもあると思うのですが、次は自分がシェフになる時が来ましたよね? フロリレージュでされてきたことが、どのように今やこの先、田原シェフの自分らしさにつながっていくのかが気になります。

     

    「Vol.1 今の自分をつくるもの(2/2)」に続きます