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    Feature特集

    インタビュー 小林寛司 小林シェフの修業時代 1

    小林シェフが料理の修業を始めた頃の思い出を伺います。

    編集部――ところでシェフは、料理人さんになってからのことで、ふとしたときに思い出す経験はありますか?

    小林――いっぱいありますよ。いろんな、そのときどきの出会いがあります。修業時代は、まかないの話。大阪で初めて働いた店は、20席くらいで、(席の間隔が)ほんとうにきちきちで。(両手を小さく広げながら)このくらいすぐ近くに隣のテーブルがあるんですよ。で、店に入ってすぐは、ホールの掃除とサービス、洗い場を4人いた同期と交代でやっていました。

    ある日、僕が料理を持って行ったら、こぼしてお客さんの服に全部かかってしまって。すごく怒られて、お客さんにも謝って……始末はシェフが全部やってくれて。「お前はもう外に出んでいい、中をやれ」って。

    編集部――それで厨房に入ることに。

    小林――はい。それで、当時は時代的にもすごく忙しくて、まかないが(厨房で作らずに)お弁当だったんです。日曜は通し営業をしていたから、交代で外に食べに行かせてもらってました。でも、シェフは日曜も店から出ずに何かしら(食事を)済ませていて、たまに機嫌がいいと、僕らに「作っていいぞ」と言ってくれるんです。それであるとき、僕がまかないを作って、「シェフできました」って出したんですけど、出したテーブルに、フォークも椅子もなかったんですよ。

    それで、「どうやって食うんじゃ、ぼけー!」って言って、その作った料理が飛ぶという(苦笑)。

    編集部――それは、当時は怖かったのでは?

    小林――怖かった(笑)。他にも、パンナコッタの仕込みで鍋を出して……鍋は洗ってから片づけててきれいだと思ってるから……そのまま生クリームをガーッと入れたら、シェフが「鍋洗ったのか!?」って言って、(鍋がひっくり返されて)ピシャーッと厨房中に生クリームがぶっ飛んだこともあります。

    あと、いつもスタッフが交代で、原チャリで市場に行ってたんですけど、ボンゴレ(パスタソース)を仕込むためのアサリ20㎏とか、ムール貝とかタコとかたくさん買うから、原チャリの前にも後ろにものせられるだけのせてってなるんです。それである日、同期の子がそうやって市場から帰ってたら車が飛び出してきて、よけて、転んだんですよ。で、原チャリが壊れたりもしたんですけど、とりあえずシェフに状況を連絡しなきゃって電話をしたら、シェフが、「ムール貝大丈夫か!?」って。

    編集部――(苦笑)そういう方なんですね。いろいろと強烈ですが、学ばれることも多かったと推察します。

    小林――まあ、言い出したらまだまだあるんですけど(苦笑)。そこで2年やって、イタリアに行ったんです。

     

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